お盆迎え火

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本日8月13日はお盆迎え火。
棚経中に墓地を通りかかりますと、大勢の方がお墓にお出でになっておられ、
また街中をクルマで走りますと、提灯を持ったご家族連れがお墓へ向かい、また戻るお姿を拝見することができました。

ご先祖さまは間違いなくおられるのに、お姿は拝見しようとしてもそう見えるものではありません。
見えないから・・・といって、知らんぷりをしてもいいはずもありません。
ご先祖さまは間違いなくいらっしゃるのです。

こうしたお盆やお彼岸、あるいはそれぞれの方々のご命日、もっと言えば毎日の仏壇へのお参り。
これらすべては、「目には見えないご先祖さま」を何とか感じようとする時なのだと思います。
私たちはついつい見えるモノだけ、聞こえるモノだけ、証拠のあるモノだけを信じようとするようになってしまいました。
でも本当に私たちが「見ているモノ、聞いているモノ、証拠を証拠と思っているモノ」が全てでしょうか。
間違いなくそれを越えた世界、存在があると思います。
そのことを忘れず、己の謙虚さを取り戻す為に、ご本尊さまやご先祖さまはたくさんの機会を下さっているのだと思います。

お釈迦さまは
「常住此説法(常に此に住して法を説く)」
と仰せになっています。
ご家族のお参りのお姿を拝見し、そのお釈迦さまの説法のみ声がきこえるような気がしました。

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