お盆施餓鬼供養が行われました

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白蓮寺に於いて、お盆の施餓鬼供養が行われました。猛暑の中、大勢の方にご参拝していただだきまして有難うございました。ご都合で来寺できなかった方もいらっしゃいましたので、法話を掲載させていただきます。
今日は身内の話で恐縮ですが、私の母がこのお盆の時期に体験したお話を少し紹介させていただきます。
私はさいたま市にある妙行寺という寺に生まれました。私の父方は代々僧侶の家系で、妙行寺の住職であった私の父は私が4歳の頃に病気で亡くなりました。父の亡くなった年齢はちょうど今の私と同じ41歳で、母は当時33歳です。皆さんご存知ないかも知れませんが、お寺に住むことを許されるのは、そのお寺が所属する宗派から認められた住職とその家族だけです。ですから、住職が亡くなった場合はその家族はお寺から出て行かなければなりません。私には兄と姉がおりますので3人の子供を抱え、未亡人となった母は、お寺を出て新たな仕事に就いて子供を育てて行くか、それとも父のあとを継ぎ僧侶となってお寺に残り住職として子供を育てて行くか、当時の母は相当悩んだと思います。主婦であった母が新しい仕事に就くことも大変なことですが、一般の家庭で育った母が僧侶の道に進むことはそれ以上に厳しい道であったと思います。悩んだ末、母は僧侶となる道を選びお寺に残る決断をしました。
先代住職である父の葬儀が終わり、母は慌ただしく修行道場に入りました。まだ幼い私は父の死も理解できず、その後、母親までもが急に家からいなくなってしまい、何とも言えない寂しい思いをしたことを今でも憶えております。
修行が終わり、僧侶となった母がお寺に戻ってきました。しかし、母にとって本当の苦労はここから始まりました。父の葬儀が終わり慌ただしく修行道場に入り、悲しむ暇もなかったとおもいますが、お寺に戻ったことで父の死を改めて実感したのだと思います。母によると、悲しみも癒えない状態で、住職として慣れない寺の仕事に追われているうちに精神的に病んでしまい、鬱状態になってしまいました。精神科に通院しても鬱は治らず、ついには死を考えるようにまでなっていました。当時は私は幼稚園に通う園児でしたが、母が鏡台の前で度々泣いている姿を今でも憶えております。普段は明るく穏やかな母親ですので、自殺を考えるまでうつ病を患っていたという話を大人になって初めて母から聞いた時は本当に驚きました。
そんな状態の母が住職として初めてのお盆を迎えました。今日と同じように実家の妙行寺でも毎年お盆の法要があります。古くからある寺ですので大勢の方がお参りにきます。人まえで読経や法話をしたことのない母にとっては大変な1日であったと思います。初めて執り行ったお盆の施餓鬼会が何とか無事に終わり、参拝者が全員お帰りになった後、本堂に一人残った母が周りを見渡すと、当日お参りにくることが出来なかった檀家さんの卒塔婆が数多く残っていました。それを見た母は、お盆中に卒塔婆を建ててもらえない亡きご家族や先祖を不憫に思い、重たい卒塔婆を手に抱え、広い墓地の中、1つ1つお墓を回って卒塔婆を建てては手を合わせて歩いたそうです。すると突然、自分の体の中から何かが抜け出ていったような妙な感覚があり、その後は「憑き物が取れた」という言葉通り、今まで苦しみで一杯であった心と体が急に楽になったそうです。
母は卒塔婆を建てて回ったお檀家さんのご先祖様が救ってくれたのかもしれないと言っておりますが、病院に通ってもなおらなかった重いうつ病が、この不思議な体験を通して治ったのです。この出来事が母の人生の転機となり、前向きに生きることが出来るようになったそうです。
母を救ってくれたのは何なのか。何かしらの神秘的な力が働いたのか。それとも死神が取りついていたのか。今となっては知る由もありません。しかし、この出来事を私なりに考えてみますと、1つだけ確かなことがあります。それは、自分の伴侶の死で悲しみのあまり自分のことだけで精一杯であった母が、同じように家族をなくされたお檀家さんの為に卒塔婆を建てて回るという行動を起こしたことです。自分と同じように苦しみ悲しんでいる方に代わり起こした行動、所謂「利他行」が母の悲しみを和らげ、苦しみを取り除いてくれたのではないかと思うのです。
人は悲しいこと、苦しいことが起こると、なぜ自分だけがこんな目にあわなければならないのか。世界の中で自分が一番の不幸者だと感じてしまいます。その結果、自分のことしか見えなくなり、他人への思いやりや隣人の苦しみを共有することが出来なくなってしまいます。しかし、そういう時こそ、他人に対して慈しみの心をむけることが結果として自分を救うことにつながるのだと、私の母が体験した出来事は教えているように思えます。
今日はお盆の施餓鬼供養を行いましたが、施餓鬼供養が行われるようになったのはお釈迦様の在世の時代まで遡ります。お釈迦様の直弟子だった目連尊者の母が、死後成仏出来ずに餓鬼界に落ちてしまい、目連尊者の神通力をもってしても母を救うことはできませんでした。そこで釈迦に相談したところ、多くの僧侶を呼び供物を施せばお母様は餓鬼界から救われると、説いたことが施餓鬼供養の起源だと云われております。では、なぜ釈迦の直弟子にもなるような目連尊者の母親が成仏できずに餓鬼界に落ちてしまったのかと言いますと、我が子に対しては優しい母親でしたが、他人に対しては物惜しみをしていたからだと、釈迦は目連に教えたと云われております。
やはり他人に対する利他の気持ちを忘れ、自分だけよければ、自分の家族だけ良ければそれでいいという利己的な考えや行動は仏の道に反する行いです。目連尊者の母が死後も尚、餓鬼界で迷い苦しんでいたという話は、利己主義は我が身を滅ぼすという仏教の心理を教えているのかも知れません。我が宗祖、日蓮聖人もこう教えております。「人の為に火を灯せば、その人の前だけが明るくなるのではなく、自分の前も明るくなる」と。これも利他の行いが我が身を救うということ示しております。
今日は私の母が体験した話を紹介させていただきましたが、どうか皆様も苦しい時、悲しい時こそ、自分だけのことを考えずに周りの方に慈しみの目を向けて動くこと、「利他行」こそが自分自身を救う道であることを心に留めておいていただきたいと思います。

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