妙興寺について

 日蓮宗徒の教育殿堂として200年の歴史を誇った「野呂檀林」とともに隆盛をきわめた本化の道場。
 寺の周囲には老杉がうっそうと茂り、そのなかに檀林時代に松平安芸守の建立寄進になる一切経蔵を改築した子安堂が現存していたが、平成23年3月11日、東日本大震災の被害で倒壊寸前となり再建された。

ごあいさつ

◆縁起
 寺伝によれば、宗祖日蓮聖人の大檀越曽谷入道教信の子である曽谷四郎左衛門直秀(開基)が出家して道崇と号し、建治元(1275)年、現境内の南方800メートル、鹿島支流を隔てた加納ヶ丘の地に法華の道場を開いたとされる。
なお、曽谷氏は千葉県市川市の曽谷大野地区を領する豪族で、教信は宗祖の生涯を通じての支援者であった。
 この頃、宗祖は佐渡流罪御赦免の翌年で、すでに身延へ入っておられた為、弟子の中老僧・大受阿闍梨日合上人を遣わし、開堂供養を行い開山とした。同上人は天津の領主・工藤吉隆公の舎弟にあたるとされる。
 その後、堂宇が建立され七堂伽藍を有していたとされるが、永禄12(1569)年、里見氏の兵乱によってことごとく消失。天正3(1575)年、当地の地頭・斉藤善七郎胤次公が再建願主として、現在地の土地を寄進し、その後、講堂等堂宇を建立され、さらには天和2(1682)年、松平安芸守(広島)により一切経蔵が寄進建立されている。
 天保5(1834)年、山火事で堂宇を失い、すぐさま再建が図られ、天保7(1836)年に庫裡を建立、文久3(1863)年より7年をかけて本堂が建立され、今日まで740余年の法灯を伝えている。

 <隆盛を誇った檀林(談所)>
 檀林の設立には諸説あるが、慶長年間初頭頃、または寛永7(1630)年に不受論(身池対論)後、中妙院日観上人を池上より迎え「野呂檀林」(談所)を開設した。当時としては、まれに見る大講堂を有し、学侶の養成を行ったとされる。
 寛文元(1661)年には碩学・安国院日講上人が『法華玄義』『法華文句』を講ずると全国から学僧が集まり隆盛をきわめた。
 しかし、寛文6(1666)年、幕府は上人の唱える不受不施理論を非とし、同上人を日向(宮崎県)に流罪に処し(寛文惣滅)、しばらく寺運は衰微した。
 その後、また檀林も勢力を盛り返したとされるが、天保5(1834)年の火災で堂宇を失い、閉講を止むなきに至ったとされている。檀林の終始時期については不受不施の弾圧及び、火災で資料を焼失して定かではない。

みどころ

  • 再建した一切経蔵

  • 檀林の香炉

  • 震災後の子安堂

  • 年間行事

    • 1月

      • 1日~3日 元朝祝祷会、新年初祈祷会
    • 2月

      • 15日 釈尊涅槃会
      • 22日 子安講大祭
    • 3月

      • 22日 春季彼岸会法要
    • 4月

      • 8日 釈尊降誕会法要
    • 7月

      • 22日 子安講大祭
      • 最終日曜日 檀信徒施餓鬼会法要
    • 8月

      • 21日 新盆施餓鬼会法要
    • 9月

      • 22日 秋季彼岸会法要
    • 11月

      • 13日 宗祖御会式法要
    • 12月

      • 冬至 星祭祈願会

住所

〒265-0053 千葉県千葉市若葉区野呂町738

交通アクセス

電車:JR千葉駅・京成線千葉駅下車→ちばフラワーバス成東・中野操車場行き泉自然公園または芳賀下車。
JR誉田駅下車→タクシー10分程
車:千葉東金道路→高田ICより5分程。

正式名称 長崇山 妙興寺(みょうこうじ)
住所 〒265-0053 千葉県千葉市若葉区野呂町738
駐車場 有・30台(大型車相談可)
電話番号 043-228-2099
公式サイト http://www.myoukouji.info/