インド団参

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

インド参拝を終えて、、、。
このインド団参の計画は、日青会が当執行部になってから丸2年を要して企画された。遠山事務局長を中心としてまずはインド参拝の工程づくり、そして宗務所への協力の要請などを半年間かけて行った。参加費も高額なことから募集開始を1年前から行うこととしポスター並びに参拝日程の載ったチラシを作成し希望者を募る。そして野村実行委員長が、様々な書籍などから調べ上げたインド団参のしおりなどを作成し開催の平成27年を迎える。
そして団参1か月前の2月1日にイスラム国による邦人殺害などの事件が発生し、社会情勢などの不安もあったが事前説明会を開催。大陸旅游、担当の永田氏より現地の実情などの詳細な説明をしてもらい参加者一同の不安を払拭する事が出来た。事務局としてこの準備期間がこの参拝一番の難関であった。
開催当日羽田空港に集合する際、非常に強い豪雨に見舞われた。再三にわたる直前の洗礼は我々の志を試すようであった。空港に到着したのは会員含め33名の有志である。各々がお釈迦様にお会いしたいという一心で集まっていた。結団式を行い、一同お釈迦さまにお逢いできるという期待を胸に出発する。到着するまでにはタイを経由し1日弱を有する移動時間、誰間が慣れない長旅に疲労は隠せない。やっとの思いで遠くインドの地、ラジギールに到着する。大半の参加者が初めて目にするインドは、動物と人、自然と喧騒にまみれ、驚きばかりの風景であった。
2日目の早朝は霊鷲山への参拝、昨夜まで降り続いていた雨もあがり、ホテルを暗闇の中出発する。霊鷲山のふもとより団扇太鼓を先導に唱題行脚で徒詣する。雲も霧も深く「もしご来光が見えないようであれば・・・」など不安もよぎる。一同山頂に到着、小さな霊鷲山のお釈迦様のお像に礼拝、1人1人焼香し散華法要を行う。まずは自我偈の転読。1度目のお自我偈でわずかに見えた雲間のご来光、その中にお釈迦様の「よく来ましたね」というような一瞬のお姿を拝し、涙をこらえきれずに一層に自我偈の声に力がこもる。そして、2度目のお自我偈が終わるころ深い霞が一気に晴れ、荘厳で真っ赤に燃え上がるご来光が上がり始めた。もはや一同感激の涙を抑える事が出来なかった。その後、唱題をお唱えしお釈迦間が私たちに見せてくださった瑞相(目に見える不思議な出来事)をわかちあった。
2日目写真
その日の午後は、成道の地、ブダガヤの大菩提塔での法要である。この地には、各国の仏教徒が絶え間なく訪れそして参拝をする。それを求心するに値する信仰の力ある。私がいつか日本の仲間を連れてこの地を訪れたいという念願の場所でもあった。ここでも不思議な出来事が起こる、寿量品をお読みしていると犬が3匹法要に加わり、大きな読経の声の中膝の前に眠る。そして法要を終えた後にはリスや小鳥が菩提塔近くにいることに気付く、お釈迦様のお説法は動物たちも聞きに来たというその風景がまさにそこにあった。私たちのお読みする法華経と、今ここいるお釈迦様との感応であると思う。これ以上のことは言葉にすることが出来そうにもない。とにかくすべての方が訪れてほしい仏教徒の聖地である。
3日目は、サルナート初転法輪の地、お釈迦様がお悟りを開かれてから初めて法を説かれた場所だ。聞いていたインドの気候とはほど違う、爽やかな風が吹く清らかな地、そんな気の流れは訪れた私たち誰もが感じた感覚であった。ここで特筆すべきは、ある一体のお釈迦様の石像との出会いである。そのご尊像は紀元3世紀に作られた国宝でもあるため、厳重に管理された考古学博物館に展示されていた。ご安置されている部屋に入り遠くからそのお姿を見ただけで何か吸い込まれるような、とても不思議な感覚を感じたのは私だけであろうか。
そして、日蓮宗の寺院である日月山法輪寺での参拝へ。長久保上人をはじめ信徒の皆さんのうちわ太鼓でのお出迎え、開放していただいた本堂での法要、「遠い日本からよく来てくれました」と手厚い歓迎をしていただく。日本から遠く離れたこの地にこれだけ立派な伽藍を建立された苦労は計り知れない。そして私たち自身にもその「不自借身命」のお姿で激励をしていただいたように感じた。
3日目写真
4日目は、ガンジス川でのご来光参拝。ここでも現地ガイドも見たことがないという朝日を遥拝する事が出来た。お釈迦様は私たちに困難を与えた分だけご褒美を与えてくださったのだと思う。そして、日本からお預かりしてきた紙塔婆と花灯籠をガンジス川に供養した。現地の人々が死を待つ臨終の地であるガンジスの川辺、まさに死と密接につながった此岸と、生命誕生の力をまざまざと見せつけるご来光の狭間にいる私たち、今まさに生きていると感じざるを得ない。そんなガンジス川の大自然に圧倒された。宗教は自然を感じる場所であるほど強く必要とされるのではないのだろうか?
4日目写真
5日目は涅槃の地、クシナガラの参拝である。その地の放つ雰囲気はとても静かで重みがあり、そして何よりも落ち着いていて心地が良かった。涅槃堂の広い敷地には沙羅双樹が生えそこがお釈迦様の臨滅の地であったことを想像させる。一つ一つの聖地の雰囲気がお釈迦様のいらっしゃったその時の場面と重なる。お釈迦様は一つ一つの行動にきっと場所をお選びになったのだろう。
5日目写真
6日目は前日バスで国境を越え、ご生誕の地、ルンビニ園への参拝初めて味わうインドらしい暑さの中、力車に乗り摩耶堂へ向かう堂内では読経が出来ないため堂外からのお参り、レンガ敷きの境内に座り自我偈を唱える。お釈迦様の生まれになられた地は、優しい母の雰囲気で私たちを受け入れてくれた。そして、お釈迦様がお育ちになったお城カピラバストゥで「四門出遊」の話を聞く、仏教の根源である。カトマンズ行の飛行機が欠航となりバスから急きょワゴン車4台に分かれて山道を8時間、険しく暗いあの山道は生涯の思い出となるだろう。
6日目写真
7日目は目玉寺院ボーダナーとへの参拝行って初めてわかる名前の由来、お釈迦様の知恵の目はすべての世界を見渡しているのだ。世界遺産でもありチベット仏教の総本山であるこの寺院には数多くのチベット仏教の信仰者たちが集まる。あまりもの熱気に私たちは圧倒されるばかりであった。そして、大混雑のカトマンズ空港を何とか飛び立ち、その夜にはタイに移動し少し早い解団式をする。この団参の思い出、余韻を皆で分かち合うひと時となった。
8日目は車窓からバンコク市内観光し日本へ
空港の閉鎖、混雑等はあったものの大きな事故病気もなく帰国する事が出来た。これは期間中私たちを温かく見守って下さったお釈迦様のご守護の力であることは間違いない。
事務局長 遠山栄龍
成道の地ブダガヤでは読経中に、どこの国の方かもわからない方がお布施をくれました。国、宗派、どんなお経を上げているとかは関係無く、お釈迦様に帰依するという事で仏教の僧侶に布施をするという事に衝撃を受けました。お釈迦様の聖地を巡り、様々なお釈迦様のお姿に会うことが出来、お釈迦様の偉大さ、尊さを再確認することが出来た参拝でした。またお釈迦様に会いに行きたいです。
実行委員長 野村顓正
インドの地に立ち、様々な経験をする中で、自分がどれほど狭い価値観の中に自分で自分を縛り付けていたのかに気づかされました。
しかし、インドの人々の疑うことを知らないような純粋さと全てを受け容れてくれる寛容さに触れて、こうでなければ存在する価値が無いと自分を縛り付けていたものが、一気に解けていくようでした。
日吉浄海
普段の勤読の中において普通に勧請や回向しているだけだったのが、本師釈迦牟尼仏は確実に存在していて2500年以上経った今も私達を暖かく慈悲の心で見守って下さっていることに感激と感謝の気持ちでいっぱいになりました。インド参拝でえたこの貴重な経験は私にとって大きな宝物です。
荻野泰裕
インドの大地に降り立ち、目にしたものは、自分の思い描いていたものがどれほどちっぽけなものであったかを痛感しました。崩れかけたレンガの家に住む人々、庭に横たわる牛、お店に並ぶハエの群がった食べ物、信号や標識などないどこまでも続く一本道。言葉ではその情景をうまく伝えきれませんが、インドで目にするものは、生々しく、時に感動的で、私の心を振るわせました。団参の最初に聞いた「皆様はお釈迦様に呼ばれてインドに来ているんです。あるものをそのまま受け入れ、心で感じてください」という言葉を思い出しました。
私はその時、目にするものや触れるものすべては、お釈迦様が私に見せてくださっているものなのだと思えて、一つ一つの出来事が尊く感じました。
会長 佐々木教道
計画段階から困難の連続で、「本当に私に会いに来る気がありますか?」とお釈迦様に試されていたのだと思います。そして霊鷲山のご来光に始まりお釈迦様が私たちに「よく来ましたね」と歓迎を受けた思いです。苦しみや困難が大きいほどきれいな花を咲かせる蓮の花の喩えがあるように、今回の旅では本当に多くの感動を頂きました。そして何より、ご参加頂きました皆様の笑顔を見れました事が私たち青年会の仲間の大きな喜びです。皆様と共に巡ることのできたこの巡礼の旅は私たち会員にとって何よりの宝物です。
 

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ