LINE法話「無明」

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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

これは川端康成の代表作、『雪国』の冒頭の一文です。私はいつも電車や車でトンネルに入ると、この一文を思い出します。暗くて長い人生のトンネルをひた進んでいくと、いつかは景色がガラッと変わって、新たな世界へと入っていく。そのようにも聞こえてくるような気がします。トンネルはトンネルでも真っ暗なトンネルに入ると何も見えなくなってしまいます。

仏教では、真っ暗で明かりが無く、何も見えない心の状態を「無明」といいます。無いという字に明かりという字を書きます。ではその真っ暗な心の状態、無明の状態とは何なのでしょう?

皆さんは自分にとって都合の良いものばかりを追い求め、自分にとって都合の悪いものはなかったことにしてしまってはいませんか?その「自己中心的な心の状態」それを無明というんです。そのままの心で行動したり、発言してしまったりすると迷いや苦しみが生まれてしまいます。

現在もコロナの影響でマスクを着け続ける生活が続いています。

コロナの発生当初はスーパーからマスクが消えてしまいました。マスクの買い占めがあったからです。買い占めてしまうのは感染しないため。必要以上でもたくさんあった方が都合がいいからです。マスクが足りなくなってしまうこと、自分がほかの人にマスクを配るなんてことには目を向けることは出来なかった。自分にとって都合の良いことしか見えていない状況、自己中心的な心の状態です。

其のままで行動してしまったことで、マスクが無くて困ってしまい、苦しんだ人たち、中にはなんでマスクが無いんだと店員さんに怒りをぶつけてしまった人もいました。

このような無明の状態は私たちが意識をする、しないに関わらず、知らず知らずにうちに生まれてしまうものです。そして気づくこともできないし、気づこうともしていないんです。自分が自己中心的な、無明の状態に陥っていないか、考えて発言し、行動する、無明をコントロールし、心を磨くことが大切です。

日蓮聖人のお手紙に『一生成仏鈔』というお手紙があります。

その中では
「一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。」という言葉があります。無明の心はまるで磨いていない鏡なのだと日蓮聖人はおっしゃっています。無明の状態に気づき、心を磨くことで、皆さんの心にも一面の素晴らしい雪景色が広がっていくのではないでしょうか。

それでは皆さん、ご自愛ください。

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