宗学の最先端!中央教研

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どうも皆さん、おはよう・こんにちは・こんばんは!研修員の佐藤です!
暑い日が続いておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私達研修員も関東の暑さにノックダウン……されそうになりつつも、
なんとか踏みとどまって、1日1日を過ごしております!
 
そんな暑い日差しの中、我々研修員は7月27日から29日まで
宗務院にて開催された「中央教学研修会」に参加させて頂きました!
中央教学研修会とは、日蓮宗勧学院という日蓮宗学研究の最先端を行く方々が主催している、
3日間からなる講習会のことで、大学で教鞭を執っていらっしゃる先生方を始めとした様々な方がご講義して下さいます。
今回は、「日蓮聖人の体験と思索―龍口法難と佐渡配流―」を大テーマとして、
そこから発展した各先生方が伝えたいことに沿って講義が行われました。
まだ私が学生だった時に大学で直接講義して下さった先生方が何名かいらっしゃったのですが、
その時の授業と比べて内容がより濃く、
かつ先生方ご自身の「本当に伝えたいこと」が
全面に押し出された講義を拝聴させて頂きました。

普段では聞けない話を聞け、とても有意義な時間を
過ごすことができた、と感じております。
 
全ての講義がとても刺激的で聞いていて学びが深まる内容だったのですが、
その中でも一つ、庵谷先生と原先生が共通して仰っていた
「信仰の主体はどこか」
という話がとても自分は印象に残っています。

私達がお題目を唱えお釈迦様と法華経を敬うという行いは、
お釈迦様が我々に「法華経という大切な教えを受け取って、信じて欲しい」と
手を差し伸べてくださっているからこそ行うことができるもの。
だからこそ、私達の信仰とは自分自身がただ敬うという意味だけでなく、
お釈迦様からの
信仰のバトンを受け取っているという意識を持つべきである――という内容でした。
 
自分自身の信仰とは、お釈迦様の御意志に裏打ちされたもの。
お釈迦様は私達のことを、我が子のように見守ってくれているのです。
――私達法華経を信じる全ての人が、その意識を持って
法華経を受持しなければならないのだと、強く感じました!
 
「今此の三界は 皆是れ我が有なり 
    其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり」
           ――「妙法蓮華経譬喩品第三」に示して曰く。
 

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