戦後70周年特攻の最前線に立ち想う

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こんにちは。佐藤惠悟です。
 
研修所の生活も残りわずかとなり、寂しい思い出いっぱいであります(TT)
 
そんな中、11月16日から19日まで九州へ研修旅行に行ってきました!
 
研修の柱は鹿児島にある「海上自衛隊鹿屋航空基地資料館」(以下、鹿屋基地)と「知覧特攻平和会館」へ行くことでありました。
 
戦後70年ということ、布教研修所所長の三田村鳳治猊下から戦争の体験をお聞きしていたこと。
この二点から私達若い世代が戦争の恐ろしさ、悲惨さについて少しでも知らなければならないと感じ、この度の目的地となりました。
 
 
鹿屋基地は外に旧日本海軍の飛行艇や歴代の海上自衛隊の戦闘機が並んでいました。
屋内にもゼロ戦の模型や海上自衛隊関連の展示物が並び、
実際に海上自衛隊で使われている救難ヘリコプターのコックピットに入ることができ、いかに複雑な運転席で、操縦が難しいかを体感することが出来ました。
 
大変印象に残ったことが、B29が日本に墜落した際に当時の人々がとった行動です。
日本を爆撃して墜落した米軍に対して当時の日本人はその遺体を丁重に葬り、花を手向けたそうです。
 
“復讐からは何も生まれない„
 
この精神を一人一人が大切にしていかなければならないと感じました。
 
 
知覧特攻平和会館では、ドラマや映画等で神格化された特攻隊の姿とは別に、
私達と同世代(20歳~25歳前後)の年相応の一面を見ることができました。
 
地元の方々と楽しそうに触れ合っていた姿。
特攻が決まった当日は涙で枕がぐしゃぐしゃになった隊員もいたという言葉。
小さな犬をみんなで可愛がっていた光景。
 
しかし今の私達と大きく異なるところは、日本のことを真剣に考えていること、家族を大切に思っていることでした。
残された手紙の多くに「御国の為に」という言葉や、両親や兄弟、さらには婚約者を思う言葉が綴られていました。
その手紙を見て多くの研修生は涙を流しました。
 
また、信仰心の強さを感じました。
日本国、天皇陛下を信じることによって自分の身を投げ出すことが出来る、その芯の強さというものを感じました。
 現代の若者はそれほどまでに信じるということは、恐らくできないと思います。
 
年齢は同じでも考え方はずっと大人でした。
 
特攻隊はかっこいい、戦争は恐ろしい。それだけで完結してはいけない。
特攻隊の方々は50年後、100年後の日本はどうなっているだろうと希望を抱いて、
その命を後世の私達に託していったのだと感じました。

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