だんしんきょう 平成31年 2月号

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開催日:2019年02月01日

三原初男 氏
昭和16年3月3日生まれ、77歳
大阪府四條畷市如在寺護持会長
大阪府大阪市檀信徒協議会副会長
大阪市指定無形民俗文化財 正蓮寺伝法川施餓鬼参拝会相談役
趣味 読書、ゴルフ

平成19年から宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」が始まり、運動の一環として22年に「一寺院一信徒青年会づくり」が提唱されましたことは、私ども檀信徒もすでに周知の通りです。檀信徒協議会員の一員として自らの立場を踏まえ、宗門運動に対する個々の姿勢と活動内容を、今一度、自問自答を試みる時期に立たされているのではないでしょうか。
私は他宗の檀家に生まれ育ちました。その私がお題目にご縁をいただいたのは、50歳を迎える平成3年の年明けでした。友人に誘われ大阪府四條畷市にある四條畷大黒天「如在寺」を訪れ、初めてご祈祷を体験しました。中川法政住職のご祈祷の迫力と凄まじさに、身も心も震えが止まらず、口では表現できないほどの感激を全身で味わいました。また住職のお話をお聞きするたびに、ご先祖さまへの供養と仏神に手を合わせることの尊さを思い起こすこととなりました。
このご縁を機会に私も社業の傍ら時間をつくり、お寺へ足を運び、信仰心を強くしてきました。半年後には我が家へも枡大黒さまをお迎えし、お祀りさせていただけたことで、朝夕手を合わせお題目を唱えるようになりました。必然的に妻も2人の息子も嫁も孫も家族全員がお題目を唱え、お寺にもお参りし、お経本を手にするようになりました。
私が日蓮宗に改宗したのは、このご縁から2年後、52歳のときでした。この年に曼荼羅ご本尊を授かり、また父の第50回忌が重なり、法事を勤めた後、親戚一同の前で改宗を宣言しました。
住職へ檀徒となるご報告した後、寺のしきたりや仏前作法、礼儀といった具合に住職の指導は一段と厳しいものへと変わりました。叱責され、幾度となく挫折しそうにもなりましたが、都度法華経信徒への試練と受け止め、ひたすらお題目の実践に精進しました。
それから3年が経った55歳のとき、護持会長の役をいただくことになりました。
お題目結縁と一寺院一信徒づくりの運動面では、私の生きざまそのものが手本であり、私の体験を活かし、仲間や知人友人をお寺へ誘うように努めてきました。この姿勢は、お寺に委ねるのではなく、お寺への奉仕が主ですので、当然ながら信徒側が対応課題として認識すべきだと思います。
如在寺の信徒青年会は住職の打診から2ヵ月後の平成22年3月に18歳から30歳代を主とした13人で立ち上げました。開始から3年間はあえて厳しく指導しながらともに動くことに徹しました。その結果、翌年からは年間を通してお寺の行事の準備から当日の役割、片付けにいたるまで、信徒青年会が担うまでに成長を遂げました。
またさらには、小中高生を対象にした信徒少年部の発足を目指す動きがすでにはじまっているようです。
今後も檀信徒として恥じぬよう姿勢を正し、自らが三宝給仕とお題目の実践に励み、信徒の模範となるよう心に誓い、精進を重ねてまいります。
 

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