だんしんきょう 平成27年 4月号

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 私の信仰歴告白と今後について

全国檀信徒協議会監事
富山県檀信徒協議会長
杉村静一 氏

高岡市妙国寺総代
昭和11年10月10日生まれ
趣味読書

 私は、代々続いている日蓮宗の檀信徒の家に6人兄弟の長男として生まれました。小さいころ、祖母に連れられ、菩提寺の富山県高岡市妙国寺(荒木 清幹住職)に何度もお参りしたことを覚えています。
 小学校3年生のとき、近くにあった日蓮宗の日曜学校に3ヵ月ほど通いました。このときに開経偈を覚え、講話や紙芝居などで親孝行や悪について教わりました。「くもの糸」では糸が切れ、カンダタが再び地獄墜ちる絵は、特別脳裏に残り、今も因果応報や輪廻転生を信ずる原因になりました。
 このようなこともあり、いずれ長男として跡を継ぎ、両親と一緒に暮らし、生計を立て、お寺参りをするものと自然と思っていました。23歳(昭和 34年)に社会人となり、就業先が東京でした。地元に戻り、両親と同居したのは、14年後の37歳のときでした。しかし、私も働き盛りで、すぐ地元と東京を頻繁に往復する日々が続き、ゆっくり家で仏壇の前でお題目を唱えることも少なかったと思っています。祖父母の月命日のお経やお寺の行事への参加、お講などは母が中心でした。
 57歳(平成5年)で初めてお寺の団体参拝に妻と参加し、身延山・七面山に参拝しました。富士山頂を横切る日の出に大勢の檀信徒とともにお題目をお唱えしたときは感激し、改めて信仰の大切さに目覚めました。
 65歳(13年)のとき、父が89歳で亡くなりました。それから5年後、わたしの仕事は地元中心となり、やっと落ち着きました。40年余りお寺から離れていましたが、ようやくお寺参りに行けるようになり、喜びを感じ、安堵したものです。
 72歳(20年)で菩提寺の総代の一人に指名され、翌年、ご縁をいただき、富山県管区の檀信徒協議会長に選任されました。さらに全国檀信徒協議会の常任委員(監事)にも任命され、今日にいたっております。
 ご縁とはいえ、信仰がまだまだ浅い私がこの役目にいることは、誠に心苦しいことではありますが、遅まきながらも老骨に鞭を打ち、団参や管区・教区の研修道場に参加し、信仰を深めることで責任を果たしたいと思っています。また参拝寺院も総本山身延山久遠寺や霊跡として指定される本山はほぼお参りしています。今後は由緒寺院の本山(現在は5ヵ寺を参拝しています)を主に参拝したいと思っております。
 さて今後のことですが、我が家は、長男(昭和40年生まれ)が跡を継ぐと言っています。しかし地域の家族状況を見れば、高齢者のみの家も何軒か あります。人口減少や都会への人口移動は、社会問題や政治問題ですが、これは檀信徒の減少につながることです。しかし、私たちは日蓮聖人のみ教えにしたがってつねに「南無妙法蓮華経」と唱え、仏法僧に帰依し、信仰の相続を行っていかなければなりません。そして菩提寺の支えると同時に、宗門の発展に力添えし、立正安国の世の中を作らなければならないのです。

全国檀信徒協議会監事
富山県檀信徒協議会長
杉村静一
(監事)
高岡市妙国寺総代
昭和11年10月10日生まれ
趣味読書

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