いい話ってどんな話?

「いいことを言おうとして、何も言えなくなった話」

あるあるだと思いますが、私は法話で「いいこと」を言おうとしていました。

法華経を読み、ご遺文を読み、先師の言葉やどこかで聞いたうまいたとえ話まで、いろいろ準備しました。
あの言葉も入れたい。この話も使いたい。そうやって欲張りながら原稿を作り、
「よし、いい原稿ができたぞ」と満足していました。

ところが、いざ本番になると頭が真っ白になる。
練習したはずの言葉が、とっさに出てこない。
理由は簡単です。
どれも自分の体験を通っていない言葉だからです。

勉強がいらないわけではありません。
むしろ欠かせません。
けれど、勉強が“言葉を集めること”で終わってしまうと、
いざというとき、自分を助けてはくれません。
学びは、自分の中で咀嚼し、経験と結びついてこそ「自分の言葉」になります。

それ以来、伝えたいことを一つに絞り、
なるべく自分の言葉で話すようにしました。
多くを語るより、自分が本当に腑に落ちたことを一つ。

どんな場面でも自然に法話される先輩上人、いますよね。
憧れますよね、わかります。
でも、そんな先輩方も最初から完璧だったわけではないはずです。
一つ一つの法話を丁寧に積み重ね、
学びと経験を重ねてきたからこそ、あの深みがあるのだと思います。

「行学の二道を励み候べし」とあるように、
学びと実践、その両方を積み重ねていくこと。
ぜひ、積極的に経験を重ね、
学びを深め、自分の言葉を育てていっていただければと思います。

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