◆住所
山形県天童市小路2-4-34 【地図】
享保十四年創立、開山智亮院日紹上人、もと観月庵と称し、明治年中に現寺号に改む。
織田信長の子信雄を祖とする天童織田藩は天保二年(一八三一)から維新までこの地にあった。戊辰戦争で、天童織田は官軍による奥羽鎮撫使先導役を命ぜられ、幼少の藩主に代って家老の吉田大八守隆公が役目を行った。しかし、奥羽の情勢が一変し、奥羽越列藩同盟に参加することとなり、大八は藩の責を一身に負い、慶応四年(一八六八)、観月庵に於て、三十七才で自刃した。その折大八の血が天井まで染めたと伝えられ、勤王の志士・吉田大八公に関する多数の資料とともに現伝されている。