洛陽十二支妙見 宝剣引継大祭

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 12月14日、太陽の陽を温かく感じる中、洛陽十二支妙見会(道入寺住職風間隨成会長)による洛陽十二支妙見宝剣引継ぎ大祭が「岩戸妙見宮」で知られる京都市北区円成寺(大岩泰俊住職)で僧俗約70名が参拝し行われた。法要に先立ち、妙見会各聖による水行が行われ、檀信徒が合掌し見守った。
 大祭では亥の妙見さまの円成寺(大岩泰俊住職)より、子の妙見さまの善行院(児玉純人住職)へ宝剣が引き継がれた。
 「洛陽十二支妙見」とは京都御所紫宸殿を中心に京都市内の十二支の方角に祀られた妙見宮から構成されている。江戸時代、「洛陽十二支妙見」は、寿福、開運、厄除けを願う庶民の間で信仰が盛んに行われ、参拝者は後を絶たなかった。その後、明治時代の廃仏毀釈により少しずつ衰退してしまっていた。その「十二支妙見会」が1986年(昭和61)に再興され現在に至っている。
 宝剣を引き継がれた善行院の「子の妙見さま」は、北には本山妙覚寺、西には本山本法寺があり、日蓮聖人より帝都弘通の遺命を果たされた日像菩薩を開山とする大本山妙顕寺の山内東側に位置している。
 境内北側にある妙見堂は、その昔、第111代後西天皇が皇居清涼殿にて日夜国家安穏をご祈念された妙見大菩薩の尊像が祭祀されている。
 ある時、「法華経によってこの妙見大菩薩を祭祀せよ」との霊夢により妙顕寺へ移され、その後天保年間(1830)に善行院第28世日謙上人が妙見堂を建立され「天拜の妙見さま」として今に伝えられ、開運厄除をはじめ、西陣織の中心地に位置する事から、西陣の織元を中心に近隣の商家の開運、商売繁盛や合格祈願、眼病平癒などを祈念する善男善女の信仰が現在にも至っている。
 

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