小田原城に登ってきました

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

 こんにちは。副住職です。

 お彼岸最終日の今日、ご縁あって小田原城に登って参りました。昨年4月にリニューアルオープンして以来、2度目の登城でした。平日にしては観光客が多く、まだまだリニューアル特需は続いているようです。

 度々ブログでもお話していますが、今の小田原城天守閣は大久保時代のものであって、北条時代のものではありません。そもそも北条時代に天守閣が存在したかどうかについては諸説あり、あったとしても今の場所ではなかったと言われています。現在の小田原城は、明治期に取り壊された大久保時代のお城を、戦後になって復元したものです。

 しかし、この事実を知っている小田原市民がどのくらいいるでしょうか。ほとんどの小田原市民は北条氏のお城だと思っているでしょう。なんでそんなことになっているのか、原因は色々あると思いますが、その一つにお役所の宣伝方針があると思います。小田原行政は北条氏「のみ」を売りにして小田原をアピールしているのです。天守閣チケットには「北条五代を大河ドラマに!」と謳っていますし、市役所職員の名刺にも同じことが書いてあります。

 北条氏は関東一円を治めた戦国の大武将です。そこは間違いありません。派手さ・規模で言えば大久保氏は到底敵いません。北条氏が大河ドラマになったらとても素晴らしいことだと思います。

 ですが、それはそれ、これはこれ。今の小田原城天守閣は江戸期・大久保時代のものです。天守閣を北条氏のものだとするアピール方法は間違いです。もし北条氏が大河ドラマになって脚光を浴びれば浴びるほど、その矛盾が浮き出てくることでしょう。天守閣には、北条氏の家紋「三つ鱗」をモチーフにしたデザインが至る所にちりばめられてます。ですが、大久保氏の家紋「大久保藤(上り藤に大)」はあまり見当たりません。これでは誰のお城か分かるわけがありません。

 大森・北条・大久保・阿部・稲葉・大久保と続く城主の時代考証をしっかりと踏まえ、時代に沿った小田原の良さを、多くの方々に知ってもらいたいものです。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ