Myojunji
Atsugishi, Kanagawa
文禄11年(1274年)本間重連が檀越となり、
日善の開山により創建されたと伝えられる。
厚木市内にある蓮生寺、妙伝寺とともに星下りと称し
、重連の邸宅跡と伝えられる。
江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられていた。
平成8年(1996年)祖師堂(本堂)が再建された。
以前の本堂は
元禄9年(1696年)建立の霊跡本山片瀬龍口寺の祖師堂を
天保15年(1844年)移築したもの。
祖師堂
文永8年9月12日(1271)、
鎌倉龍ノ口で起きた法難の後、
日蓮聖人は佐渡に流罪されることになりました。
翌日、相模国愛甲郡依智
(現在の神奈川県厚木市金田)にある
佐渡の守護代である本間重連の屋敷に
送られることになります。
その屋敷がここ妙純寺です。
現在本堂は平成8年に立教開宗750年報恩事業として寺観一新を発願し完成した。
(木造総欅造り間口10間、奥行き12間、地下100坪ホール)
これ以前の本堂は、
元禄9年(1696)建立の霊跡本山片瀬龍口寺の祖師堂を、
天保15年(1844)に移築したものでした。
堂内正面には立像のお祖師さま、
左(仏殿)には三宝尊、
右には三光天子(さんこうてんじ)像(伝 運慶作)
日天子(にってんじ)
月天子(がってんじ)
明星天子(みょうじょうてんじ)
がお祀りされております。
欄間には大聖人御一代記が彫刻されており、
荘厳な祖師堂となっております。
本間重連公墓所
本間重連公(ほんましげつらこう)は、
佐渡の領主北条時宣の家臣で、
現在の佐渡島の新穂の地頭でした。
そこで、日蓮聖人の佐渡配流に関して
幕府は依知(えち)の本間氏館に
一時預かりの身となったわけです。
総門を入った両側の土手を
「本間土手」といい、
その横の畑を「本間の馬場」
屋敷跡を巡る小川を「本間の用水」
と呼んでおり、本間氏ゆかりの地
であることがわかります。
大聖人は佐渡出立の10月9日、
鎌倉の土牢(つちろう)に囚われている
弟子日朗上人らの身を案じ、
この地において
別れの書状『土牢御書』を認められた。
又、同日初めて
「南無妙法蓮華経」のご首題に
不動明王と愛染明王を添えた
ご本尊を図顕された。
樹皮の先を砕いて筆として書かれた
この本尊を「楊枝御本尊」
と世に称されている。
星井戸
この日は仲秋の名月の夜で、
屋敷に到着した日蓮聖人は、
庭に立ち、空の月天子に向かって
「法華経行者守護の証しを顕し給え」
と祈ったところ
「天より明星の如くなる大星下りて
前の梅の木の枝にかかりてありしかば、
もののふども皆縁より飛びをり、
或は大庭にひれふし、
或は家の後へにげぬ」
という奇瑞が起こったと、
種々御振舞御書に書かれています。
三光天子(さんこうてんじ)
=日天子(にってんじ)・
月天子(がってんじ)・
明星天子(みょうじょうてんじ)
の出現について
日蓮聖人は、
「月天子は龍口にて吾が命を救い、
明星天子はここに出現せられました。
いずれ日天子も
我を守護して頂けるでしょう」
と申され、
日蓮聖人に起こった
この奇瑞(きずい)をみていた人は、
畏怖(いふ)=敬意と尊敬 の念
を持ったといいます。
〒243-0807 神奈川県厚木市金田295
正式名称 | 明星山 妙純寺(みょうじゅんじ) |
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住所 | 〒243-0807 神奈川県厚木市金田295 |
駐車場 | 有・50台 |
電話番号 | 046-221-5059 |