行事予定(令和2年6月)と山門掲示(令和2年5月)

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信行会 (※6月より再開します)
毎月 8 日 午後1時〜
参加費 志納

本堂でお経を唱え、心を落ち着かせて写経をします。
例月の参加人数を鑑み、今月からの再開で対応できると判断しました。
自身の健康状態や、道中の様子等を要検討の上お詣りください。
昨月から添付してあるお詣りになる際のお願いも参照ください

お詣りになるさいのお願い
神奈川県では不要不急の外出を避けるようにとの告示がなされています。
とはいえ、命日等の節目・散策等で多くの方にお詣り頂いています。
円眞寺では現在朝は6時すぎに開門、夕方は5時前後に閉門しています。
コロナウイルス感染拡大防止の観点、自身の健康を最大限に優先に考えて
考えられる対策を考えた上での参拝や、自宅の御仏壇を通しての御供養をお願いします。

法事や葬儀、信行会について

引き続きマスクの着用をお願いしています。
家に出てから帰るまでが法事です。
健康状態や道中の様子等を鑑みた上、無理な参列はお控えください。
お寺としては、お申し込みがあればできるだけ尊重してたいおうさせていただきます。
考えられる方法として
・代表者数名の方のみが参列、または住職に読経は一任 のほか
・参列されない方は卒塔婆を供養するという方法も検討ください。

お葬儀に関しては、現在の所以下の様にお勤めしております。
○葬儀の日程のとり方
  平常通り、なるべく 通夜・葬儀・火葬・骨揚げ初七日 の流れで行うことを推奨しています。
  通夜の代わりに、葬儀前日の夜に枕経を行うという形でも構いません。
  状況によって様々な方法が考えられますので、お寺に御相談のうえ段取りや日取り等を決めるようお願いします。
  遠方でもお伺いしてお勤めしますが、お気遣いは無用です。
○お斉の席について
  本来であれば故人とお食事の席を供にするという意味合いがありますが、
  食事の席での感染の可能性がありますので、なるべく自粛いただきますようお願いします。
○おつとめについて
  換気すること、席の間隔をとることを業者様にお願いしつつ、僧侶・参列者皆マスク着用にてのお勤めをお願いしています。

住職往来(自己点検)ー5月
8日:信行会(インターネットで音声配信を行いました)
https://www.facebook.com/437287639648991/videos/247456696566618/

23日:命の鐘アクション~鐘に願いを込めて~、事前告知打鐘投稿(FBにて)
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3209252712452456&id=437287639648991

鐘5打ののち、回向・回向伽陀をお唱えしました。
この記事だけは青年会議所様にシェアをいただいた様で、今までで最高の閲覧数を頂戴いたしました。
企画趣旨につきましては、上記リンクを参照ください。

24日:命の鐘アクション~鐘に願いを込めて~、みんなで同じ時間に鐘を鳴らしましょう賛同ネット配信
18時59分すぎよより配信(当面無音)。
18時59分40秒ほどより十方礼仏をお唱えし、19時調度から打鐘。
お寺にある中~大の鐘を打たせて頂きました。
https://www.facebook.com/437287639648991/videos/3543968575632048/

30日:円真寺壱部経読誦会代替読経(2)(3)(要)

山門掲示(5月中旬~)

「平常心を失ったとき、人の心は崩れはじめる」

若くして血液がんを患われた写真家の幡野広志さんのnoteを読んでいて出会った言葉です。
noteではこの後、コロナウイルスに関連して流された色々な情報や、不満や怒りを抱えて自粛警察をしたり、
医療従事者への差別をしたり、感染者への断罪を求めたりする世相を取りあげつつ、
「がん患者も本人や周囲の人が平常心を失うことで、ただでさえ大変な病気に無駄な苦しみがトッピングされ崩れる
「コロナウイルスで大変な社会になっているけど、ただでさえ大変なのだから、無駄な苦しみをトッピングしなくていい。」
という内容に続いています。

法華三部経の結経、観普賢菩薩行法経に「一切の業障海は皆妄想より生じる」という一節があります。
インターネットのなかで、色々な情報があふれ、そこにそれぞれの思考も合わさりそれぞれの主観の正しさで誤った情報も流れ
どうしても踊らされがちな4-5月であったのかな、と思います。
でも、それは冷静に考えて正しい情報に基づいていたのかな、情報に踊らされて妄想に走っていただけではないのかな?と、反省するところです。
だからといって情報や行動の厳密な統制を公権力や一私人の自粛警察が求めるのも違うとは思いますが、でもその状況を作り出すのもまた我々なのです。
若干政治的な発言で申し訳ありません。
政治に関わらずとも、怒りを人って必ずとこかで生み出したり感じたりすることは多々あるんだと思います。
私も過去、一人じゃない色々な先輩から「怒ったらすべてが終わる」という旨を言われたことがあるのですが、
怒った時というのは、大抵本人も平常心を忘れていたり、その怒りを受けた人にも平常心でいられない何かを残す事が多いんじゃないかな、と思うんです。
このような平常心をなくしそうな時代だからこそ、掌を合わせて、心を落ち着ける時間を持つ、混乱する中で、各々がクールダウンの時間をもちたいものです。
気持ちを落ち着けようとしてその中で神仏にかしずくなかで見えるものがあるんだろうと思います。
法華経一の巻、方便品第二にも以下の一節があります。

或有人礼拝 或復但合掌 乃至挙一手 或復少低頭 以此供養像 漸見無量仏

南無妙法蓮華経

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