子どもに聞かせたい!仏教の教え「もう◯◯ちゃんなんて、嫌いだ!」~十界互具とお互いさま~

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「もう◯◯ちゃんなんて嫌いだ!」
学校から帰った我が子がこんなことを言っています。
 
「なにがあったの?」
 
「◯◯ちゃんが、いじわるしたんだ!あんなことするなんて思わなかった!もう嫌いだ!」
 
なにか嫌なことをされたのでしょう。
 
「そう、嫌なことをされたんだね。どんなことがあったの?」
 
「いい!もう嫌なの!」
 
頑なになって話してもくれません。
 
「あんなに仲良かったのに、いい友達だったでしょ、仲直りしたら?」
 
「やだ!もう友達じゃない!口も聞かない!」
 
子どもには、よくある光景かもしれません。
すぐに忘れて、日々を過ごしているうちに、いつの間にか仲直りしていた、などということもあることでしょう。
 
しかし、上手く仲直り出来なかったら、どちらとも友達を失い、寂しい人間関係になってしまいます。
なにより、仲直り出来なかった、仲直りしなかった、という経験を子どもに残しておきたいものではありません。
 
相手のことを考えなかったり、自己中心的な行動しか出来なくなってしまったら、とても寂しいことです。
 
お釈迦さまの教えには、十界互具というものがあります。
人には、地獄や餓鬼のような心から、菩薩や仏のような心まで、様々な心が共に具わっているというのです。
地獄や餓鬼の心に支配されれば悪さをします、菩薩や仏の心にたどり着けば思いやりに満ちた行いが出来ます。
どのような人も、お互いさまに、様々な心を具えているのです。
 
「きっと◯◯ちゃんは、悪さをしちゃう気持ちになってたんだね。
でも、もう口も聞かない、っていうのも、悪さをしようとする気持ちなんじゃないかな?
お互いさまに、色んな気持ちがあるんだね。
少しだけ頑張って、もう一度話を聞いてみる気持ちになってみない?
もしかしたら◯◯ちゃんも、少しだけ頑張って、謝ってくれるかもしれないよ」
 
あくる日、
 
「、、、ただいま」
 
「おかえり、今日はどうだった?」
 
「◯◯ちゃん、モジモジしながら謝ってくれた、、」
 
「そう、よかったね」
 
「うん、話を聞いてよかった!」
 
怒る気持ちも、ゆるす気持ちも、
悔いる気持ちも、思いやる気持ちも、
 
お互いさまに、お互いさまに。

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