当山「鰐口」の台東区区民文化財台帳登載について

 この度、当山所有の鰐口1口が、令和3年度台東区区民文化財台帳に「台東区有形文化財(工芸品)」として登載されました。
 本鰐口は、その銘文から安政3年(1856)、西村和泉守(にしむらいずみのかみ)の製作になることが読み取れ、当山第25世日随上人の代に奉納されました。安政3年は、前年10月2日に起こった安政の大地震の翌年にあたり、地震や火災で大きな被害の出た当山の復興にあてて製作・奉納されたことが覗えます。また、作者の西村和泉守は江戸を代表する鋳物師で、本鰐口は第9代西村政時の作例と推定されます。なお、銘文に記された「廿五世日随」は、智祐院日随上人(~1856)のことと思われますが、当山の歴代譜では第27世と伝えられます。日随上人は、鰐口が奉納された同年8月26日に遷化しております。
 鰐口の法量は面径31.8cm・胴厚13.3cm、銅製鋳造で、中央の撞座(つきざ)には表裏ともに単弁十六葉蓮華文(たんべんじゅうろくようれんげもん)が、表面の銘帯(めいたい)は題目講中による奉納銘が陰刻されています。
 本鰐口は、近世後期の江戸を代表する鋳物師の活動や鋳造技術を知る上で重要な作品であること、また江戸時代の資料を失っている当山の実態や根岸の歴史を伝える貴重な資料であることなどが、文化財台帳登載の理由となりました。台東区教育委員会生涯学習課編『台東区の文化財』第18集(台東区教育委員会生涯学習課、2023,3)収載。また、台東区のホームページより詳細をご覧いただけます。
 なお、このほかにも当山本堂奉安の木造日蓮聖人坐像は、台東区有形文化財(彫刻)に指定されています。詳細はこちらから。

安政大地震下谷坂本類焼の記録。『江戸大地震出火場明細記』(台東区立図書館デジタルアーカイブ)より

 上の写真は、昭和32年(1957)頃の旧清正公堂西面。当山元総代中村傳吉郎氏親族提供(一部加工)。軒下に鰐口が掛けられているのがわかる。
 正面のガラスに描かれた家紋は、戦国武将の加藤清正の蛇の目紋。昭和40年代初頭まで、当山には、願満清正公が祀られていた。写真では、左下に蛇の目紋レリーフの天水受けも確認できる。

旧・清正公堂_明治37年(1904)当時の本堂を描いた銅板画「東京市下谷区上根岸町 日蓮宗法住山要伝寺之景」より

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