要傳寺檀徒の系譜(その2)~NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に寄せて~

 令和最初の大河ドラマとして放送中の「麒麟がくる」、その主人公の明智光秀と当山の土岐家の関係について紹介します。
 平成26(2018)年11月21日に放送されたTBSテレビ「7時にあいましょう~真田・秀吉・西郷…偉人の末裔ご対面SP」。この番組は、タレントでナレーターなども務めるクリス・ペプラーさんが、当山檀徒の土岐家の出自で、同家が明智光秀(1528?-1582)の子孫にあたることを実証する番組でした(https://temple.nichiren.or.jp/0041039-yodenji/event/p51/)。一説に、明智家は「本能寺の変」ののち、子孫を守るため、姓を明智家直系の先祖にあたる「土岐」に改めたと伝えられます。
 要伝寺の過去帳には、万治3年(1659)3月19日歿の土岐八良左ヱ門頼成の記録を初見として、昭和26年(1951)歿の第11代(旧墓標によれば第9代か)まで土岐姓を名乗る家系が続いていたことが知られます。頼成は、土岐頼勝の孫、頼直の二男にあたる人物で、『断家譜』巻1「土岐」の系図によれば、谷中の長耀山感応寺にて葬送されたことが記録されています。感応寺は、日蓮系教団のうちの不受不施派に属する寺院であったため禁制宗門として江戸幕府から弾圧を受け、元禄11年(1698)に天台宗に改宗し、現在の護国山天王寺となりました。因みに、要伝寺もかつては小湊誕生寺を本山とする不受不施派の寺院でした。
 要伝寺の過去帳には、続いて寛文6年(1666)10月14日歿の土岐頼勝(頼次の二男)、貞享2年(1685)歿の頼直(頼勝の長男)の記録がみえ、『断家譜』(前掲書)によれば、両者ともに駒篭(駒込)養源寺にて葬送されたと記されます。養源寺も土岐一族の菩提寺のひとつにあたります。この寛文6年に歿した土岐頼勝(要伝寺の土岐家過去帳の最初に記載のある土岐頼成の祖父)こそが、土岐頼次(美濃国守護大名の土岐頼藝の二男)の嫡男で、その実父が明智光秀ではないかと推理されています。
 当山の過去帳には続いて、頼永(頼清の長男)、頼清(頼直の長男)、頼恭(頼清の三男)、頼行(頼清の四男)の順に記録がみえ、いずれも『断家譜』の記載と合致しています。過去帳に俗名が確認できる範囲で世代順で列記すれば、頼勝の代以降、頼直・頼清・頼成・頼永・頼恭・頼行と代々要伝寺にて供養されてきたことが読み取れます。このほかにも俗名未詳の多くの土岐一族が過去帳には記載されおり、その中には『断家譜』の土岐家系図に連なる人物も含まれると思います。
 『断家譜』では頼行以後の記載はありませんが、頼行以降も「子孫存続」と付記され、当山には、その後も土岐家は絶家とならずに存続し、戦後まで土岐姓を名乗る一族が墓地を管理していました。
 明智憲三郎氏の研究では、要伝寺にて供養されている土岐頼勝こそが明智光秀の実子であり、かつて土岐家の家臣で織田家に仕えていた美濃国の稲葉一鉄(良道)という人物の助けを得て、土岐頼次の養子として預けられたと推察しています。

《関連サイトリンク》
国立国会図書館次世代システム開発研究室次世代デジタルライブラリー
大河ドラマ『麒麟がくる』NHKアーカイブ

関東土岐会
本能寺の変「明智憲三郎的世界 天下布文!」

土岐家旧墓

『要傳寺元過去帳』1巻「寛文6年」の項

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