☆お経に触れてみましょう。

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お経はこの世で苦しみに耐えながら生きている人のために、お釈迦様が説かれた説法の記録です。最初は口伝でありましたが後世に残すため文字にして経典としてまとめられたものです。我々に安心を与えるお釈迦様の慈悲の心がたくさん詰まっています。
 ご葬儀やご法事の時によく読まれる妙法蓮華経 如来壽量品 第十六には次のように説かれています。
 我亦為世父 救諸苦患者 為凡夫顛倒 実在而言滅 
 以常見我故 而生憍恣心 放逸著五欲 堕於悪道中
 我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法
 毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身
現代語訳
「私も、またこの世の父であって、さまざまな苦しみを救うものである。凡夫はその心が倒錯しているので、真実には存在しているのに、入滅すると私は言うのである。常に私を見ていることによって、かえっておごり高ぶる勝手な心をおこし、勝手気ままに五官の欲望にとらわれ、悪道に落ちこんでしまうであろう。私は、常に衆生が仏の道を修行するかしないかということを知って、その救済すべき人々に応じて、彼らに種々の法を説くのだ。私は、いつもこのように考えている、『何によって、衆生たちを無上の智慧に入らせ速やかに仏の身体を完成させることができるであろうか』と。
   『現代語訳 妙法蓮華経』 藤井教公 アルヒーフ より引用
 私はこの経文を次のように解釈しています。
 お釈迦様は我々の父親であると述べられています。だとすると我々は皆、兄弟姉妹です。お互い助け合って生きていけたら最高です。
 お釈迦様は「いつもそばにいると私を頼ってしまって、かえって勝手気ままな生活を送り、悪道に落ちてしまうだろう。だから入滅(亡くなった)といって隠れるのだよ。」と言われています。父が亡くなり全ての責任が自分にかかってきた私はこのお経文を読むたびにハッとします。
 お釈迦様は「一生懸命修行する人とそうでない人がいることをよく分かっている。だからその人に応じた教えを説くのです。」と言われています。この経文は私が高校の教員時代に常に念じていた部分です。
 お釈迦様は今でも常に我々を導こうと考え、手を尽くされています。ですので私は厳しい状況になったとき、これはお釈迦様が私を導くために与えた試練なのだと考えるようにしています。 「仏は乗り越えられる試練しか与えない。」仏の部分を天や神と言い換えた人生訓はよく目や耳にするところです。
 皆様はどのように感じられたでしょうか。
 圓眞寺では毎月第一土曜日午後3時からお経を読む会を行い、お釈迦様の教えを学んでいます。参加費はお茶代として五百円です。たくさんの方の参加をお待ちしております。

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