当寺院の代表となり、早30年が経ちます。
石の上にも三年とは申しますが、それが2桁になり、それなりに実りの秋を迎えたとも思える充実した日々を過ごせるようになった今、ブログを始めたいと思います。
私を僧侶として、社会人として応援してくださったすべての方へご報告・捧げます。
俗名から僧侶の名に改名した平成7年 天災と人災がほぼ同時期に起こり、命とは何か?信ずるってどういうことか?を問われた年でもありました。
緊張感で張りつめた霞が関駅構内を父(師匠)に導かれ、たどりついた東京家裁。
これからあらゆる困難な事、耐え難い事があるかと思いますが、一生尼僧としてやり通せますか?と 霞が関の家裁で審判を受け、社会の僧侶としての日々が、始まりました。
ここからは、時系列ではなく、エピソードを含め過去を振り返りながら、お話ししたいと思います。
尼僧になって受けることが多い相談事 3位
どうして悪い事ばかりして、人をいじめてばかりいる人に天罰はくだらないの!!こんなに悔しく腹立たしく、毎日忍耐の連続なのに、罰は当たらないの!!
いいことなんて全然ない。
という質問です。
子育て中の働くママさんからの相談を多く頂きます。
分かります。まずは落ち着いて 深呼吸。
昔から、見ざる言わざる聞かざるということわざがありますが、
世の中には、すべてその逆をやらないといられない人も多くいます。
努力が作り出すかけがえのない空間に、真正面から土足で入り込み、厚かましさと
傲慢さで人を蹴散らかす
相手の理性と人の好さに付け込んで、相手が傷心したら、より一層激しさを増す
仕掛けた鎖に相手がはまれば、相手を制したと悪の頂点極まりないという様です。
日蓮聖人ご遺文に瞋るは地獄、貪るは餓鬼、愚かは畜生と記されます。
ひたすらこれを繰り返す相手の姿に、自分がのまれてはいけません。
法華経に説かれる、今の世は末法時代 善神巷を去り 悪ばかりが増長する時代なのです。
自分をしっかり保つことに集中しましょう。と伝えました。