お盆を迎えて

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妙蓮寺のお盆を迎えて           平成29年8月

 
 日本の生活習慣の中で欠かすことのできない行事に「お盆」があります。正式には「盂蘭盆会」(うらぼんえ)といいます。
 657年(斎明3年)飛鳥寺で盂蘭盆会を修したのが始まりといわれ、聖武天皇の733年(天平5年)から毎年の恒例行事になったそうです。
 
「盂蘭盆」とはインドの言葉で逆さづりの苦痛を意味する「ウランバーナ」が漢訳されたものです。お釈迦さまのお弟子に神通力(じんつうりき・霊的な能力)第一といわれた目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。亡くなった母が餓鬼道(がきどう)に落ち、飢えて苦しみ、骨と皮ばかりの哀れな姿になっていました。それを見た目連尊者は母を救おうと食べ物を口に運ぼうとしましたが、たちまち火となって燃え上がり苦しみは増すばかりでした。
 
 お釈迦さまに救いを求めますと「あなたの母は、生前の罪によって餓鬼道に落ちたのである。一人の力で救うことはできない。7月15日修行を終えた多くの修行僧を招き、さまざまな飲食を供え、供養を営みなさい。その功徳によって救われるであろう。」と教えられました。
 目連尊者は、教えに従って、施主として盂蘭盆会を営み母を救ったのです。
 

目連尊者の母はなぜ餓鬼道に落ちてしまったのでしょうか?

 我が子を思うあまりに自らの欲、貪りが強かったことが理由でした。「自分さえ良ければ」という生き方、周りの人を苦しめる生き方をするとつらい境地で報いを受けることになります。お盆の供養は、父母、祖父母、そしてご先祖さま方へ、たくさんの供物、お経、お題目をお届けすることで「おかげさま」の気持ちを表します。そして、自分の心の在り方を見つめ直すこと。「自分さえ良ければいい」という生き方をしていないだろうか。人に喜ばれる生き方をしているだろうか、と自分の心を洗い直すのがお盆供養の意義です。
 
 人間は、一人では生きていけない生き物です。だから「人のあいだ」と書く。いつも、誰かに支えられているから、生きていける。
「おかげさま」「おたがいさま」のこころで生きていく。「ありがとう」と言えなくて、幸せの道をはずれてしまう人がたくさんいるのです。

 ご先祖様、祖父母、両親の供養を営むことで、「おかげさまです。ありがとうございます」の念を改めて思い起こすことができます。自分の命をつないでくれた方々は、ずっとずっとあなたが幸せの道を歩めるよう導いてくれているのです。
 

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