『唱題行』

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

第一日曜日は、朝8時から信行会『唱題行』でした。
参加者はあまり多くありませんが、お題目の修行を続けています。
 
今後の『唱題行』の予定は下記の通りです。
 9月2日 信行会 午前8時より
10月7日 信行会 午前8時より
11月4日 信行会 午前8時より(御会式準備)
12月8日 成道会 午前6時半より
 
 
さて写真は、「法華経信行要文」(編著者湯川日淳 霊山会出版部 昭和29年発行)
 
唱題行といえば湯川日淳猊下。若い頃の私にとって長く足の痛い唱題行は苦手でしたが、20代の頃、この10cmx13cmの小さな信行要文を読み、唱題行の素晴らしさを理解できました。
 また、湯川猊下のことをよく知りませんでしたが、この信行要文を通し、猊下の考え方信仰の心得を学んだ気がしました。
 
ということで、「法華経信行要文」の中から一部紹介しましょう

 

 
第三部 信行の心得
 
三、法華経信仰の目的
 
法華経信仰の目的は、個人としては仏さまになることである。仏になる道は、菩薩行を行ずることである。菩薩道は、ほうとうの人間自身をしつて、ほんとうの人間の行いをすることである。ほんとうの人間とは、一人は人にあらずといわれるように、ただひとり人間ではなく、親の子であり子の親であり、夫の妻であり妻の夫であり、社会の自分であり、天地の子であり子の天地であり、人と人と、社会と社会と、天地と人一如一体の連帯関係で生きており、生かされている自分であることを知って、我利我欲の妄念妄想にとらわれず、公益利益を主として、人ともに生き、他人と共によろこぶことのできる人が、ほんとうの人間である。またこのように生きることが菩薩道である。すなわち日蓮大上人のご信念に生きることである。この大信念をもつて、生きること、働くこと、遊ぶこと、楽しむことのできる人が菩薩であり、本当の人間である。といつて、われわれの生活とかけはなれた観念的なものではない。われわれの日常の中で行えることである。われわれの日常茶飯事の中に、こうした人間になることから始まって、行をつみ徳をかさねて、現在から未来まで生々世々に精進して、最後に、知徳円満なる仏になることが、法華経の信仰の目的であることをはつきりと心得ねばならぬ。

 

 
霊山会は現在求道同願会となり、唱題行を弘めておられます。また信行要文も新しくなり大判になって読みやすくなっています。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

PREV

一覧へ