帰還

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病室の片隅に揃えられた“外靴”の存在が、ここ数日の間にリアリティを増している。
 
“無事にこの靴を履いて、帰って来ることが出来ますように”

そんな願いを込めた一対のシューズ。一時は、身体中に繋がれた管やレスピレーター(人工呼吸器)の機械音の中、何だか儚い希望を持つことが悲しく思えて、そこに目を遣る気分にさえならなかった。
 
数日前、異変に気付き救急に連絡。その後、3つの病院を渡り歩いた。
受け入れ拒否によるたらい回しではなく、行きついた病院で検査を進める毎に、重大な所見が明らかとなったからである。的確な診断を下し、私たちに分かり易く病状説明をして下さった上で、救急車に同乗して搬送先で申し送って下さったドクターには本当に感謝している。
そして、次々と明らかになった重大疾患。腎不全、心不全、急性大動脈解離…
大動脈の内壁は、ほぼ上から下まで裂け、ポケット状になった中膜には大量の血液が流れ込んで、血流の正規ルートを塞いでしまっていた。両側の腎臓や下肢への血流は滞り、両側共に腎機能不全に。その結果、体中に水が溜まり、水浸しの肺が心臓を圧迫して心不全、呼吸困難を引き起こした。
 
複数枚の検査画像の説明を受け、素人目にも絶望的な様子が見て取れるほどの末期的な状態だった。本人も、家族も、「死」を覚悟した。行く先々の病院で厳しい現状を突き付けられ、転院先へ移動する度、誤診の淡い「期待」と「覚悟」のシャッフルは、家族誰もの心の中で際限なく続いた。
 
それでも、手術を終えた瀕死の肉体には生気が宿り、80を超えた人生をもう一度歩ませようとしている。以前にも書いたが、「更賜寿命」(きょうしじゅみょう)という教えがある通り、師父にとっては更に与えられた寿命なのだろう。
 
病室に飾られただけの靴も、履物としての使命を果たそうと、主人の帰りを待ってるようだ…
………今は、そう思える。

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