妙國寺について

与謝野晶子の生誕地としても知られる堺の街。その静かな寺町の一角に堂々と建つ妙國寺は、かつて織田信長や徳川家康がたびたび訪れたほか、皇室が定めた勅願所としての経歴もあり、数ある日蓮宗の本山の中でも異色の歴史を持つお寺です。信長や家康が愛し名物となっている大蘇鉄のほか、歴史の重みを感じさせる宝物の数々が今も残り、訪れる人を歴史のロマンへと誘い続けています。

ごあいさつ

妙國寺は、日蓮宗としては一風変わった異色の寺だと思っています。南無妙法蓮華経のお題目の寺ですが、日蓮宗というひとつの宗派を超えた、堺のシンボルになっているのです。「信長も怖がらせた蘇鉄の寺」として地域の人々が誇り、かつては妙國寺音頭というものも盛んに踊られたといいます。新たに作った仏心殿には、東日本大震災の時に海から流されてきた陸前高田の戻り松を使った一尊四士の像を祀っていますので、被災地の方もお参りに来られます。
日珖上人は、織田信長が命じて安土城下の浄厳院で行われた浄土宗と法華宗との「安土宗論」と言われる問答で健闘したことでも知られています。師の教えに何の疑問も持たず受け入れるのではなく、『どう思う?』『わたしはこう思う』と議論し合って理解を深める問答形式を作り上げたんです。今で言うディベートのようなものですね。それまでの日蓮宗の教え方が180度変わるほどの影響を与える方法論でした。
近年は、妙國寺のことを広く知っていただく取り組みをしています。堺市の「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されましたが、堺の街を盛り上げてこそ、妙國寺にも足を運んで頂けると考えているのです。英語が得意な末寺の協力を得て英語のパンフレットを作成したり、お寺の歴史を伝えるボランティアの方に常駐していただいたりしています。また、堺市の文化協会とジョイントして、蘇鉄のライトアップとともに弦楽四重奏を楽しめる星空コンサートも開きました、南宗寺さん、大安寺さんなど近くのお寺に声をかけて、春・秋の特別公開展も毎年行っています。特別公開展では、大阪の「山田念珠堂」さんによる数珠づくりのワークショップや、堺名物の玉鋼を焼く際に発する遠赤外線で焙煎した豆を提供する「ジェットコーヒー」さんのブースを楽しんでいただいています。地域の人と文化交流をすることによって、お互いの魅力をちょっとでも伝えられたらと思うのです。まずここは日蓮宗の寺なんだとわかってもらうことが第一歩。御朱印集めをされている方にも、ぜひ中までお立ち寄りいただけたらと思っています。

みどころ

  • 霊木・大蘇鉄

    織田信長が所望し安土城へ移植されたのち、再度この地へ帰ってきた蘇鉄。葉は長い部分で8mほどにも及び、本堂の前で現在も堂々たる姿を見せている。古くは鎌倉時代の文献にもこの蘇鉄のことが記されており、樹齢は千年超と伝わる。日蓮聖人の誕生よりも前から生きていることになる

  • 蘇鉄の枯山水庭園

    室町時代に作られた枯山水の庭園に、小堀遠州が手を加え、家康のお膝元であった駿府の街を模したもの。家康が誉め称えた蘇鉄(信長が移植したものは本堂前にある)や、駿府城に見立てたと思われる五輪塔のほか、千利休寄贈と伝わる六地蔵灯篭や瓢箪型手水鉢も見どころだ

  • 堺事件の土佐藩士切腹の地

    欧米列強が江戸幕府に迫った幕末、当時堺の街を警護していた土佐藩士が、堺港から上陸して狼藉を働いたフランス水平を斬りつける「堺事件」が起きた。その責を負い、境内で割腹した11名の土佐藩士を弔う石碑が境内に残されている

  • 史料館

    三好実休の肖像画や日珖上人が使った経巻のほか、豊臣秀吉の朝鮮出兵時の渡航朱印状、大正天皇が皇太子時代に行幸の際使用した玉座光明皇后が書いた法華経の断片、東郷平八郎の書などが並ぶ。堺事件の様子を生々しく伝える史料の数々も貴重。お寺好きだけでなく歴史ファンにとっても興味深い品ばかり

  • 与謝野晶子・正岡子規の歌碑

    妙國寺のそばには、与謝野晶子の母校・泉陽高校(当時の堺女学校)が建っている。同校に夏目漱石が講演に訪れた際、ともに妙國寺を訪れた正岡子規もここで詠んだ歌を残している。

住所

〒590-0942 大阪府堺市堺区材木町東4-1-4

交通アクセス

公共交通期間でお越しの方
○ 阪堺線「妙国寺前駅」下車徒歩3分
○ 南海高野線「堺東駅」下車徒歩15分 

車でお越しの方
○ 阪神高速堺ICより(約5分)
○ 北陸自動車道西山ICより約15km(約20分)

正式名称 廣普山 妙國寺(こうふざん みょうこくじ)
住所 〒590-0942 大阪府堺市堺区材木町東4-1-4
駐車場 有り・30台
電話番号 072-233-0369