妙法蓮華経の持久走 法華七諭 良医治子の譬え

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 良医治子の譬えは、妙法蓮華経如来寿量品第十六において、お釈迦さまがすべての弟子に説かれます。

 子供がたくさんいる医者がいました。父である医者が留守にした時、子供たちは毒薬を飲んでしまいました。父が帰宅すると子供たちは助けを求めます。父は解毒の「見た目も香りも味も良い薬」を作り、子供たちに勧めます。毒の浅い子供はすぐに薬を飲めましたが、深い子供は「見た目、香り、味の良い薬」を勧めても 「見た目、香り、味の悪い薬」といって飲もうとしません。
 そこで父は、毒の解けた子供に良薬を預け家を出ます。そして出先から使いを出し「父は死んだ」と伝えさせます。
 伝えを聞いた子供たちは「私たちを救ってくれる父がいなくなってしまった」と悲しみました。そこで良薬を預かった子供が勧め、ようやく毒が解かれたのでした。

 この諭えは、父がお釈迦さま、子供たちが弟子たち、良薬は法華経、毒は法華経以前の教えとなります。はるか昔から人々を導いてきたお釈迦さまが、なぜ亡くなり姿を隠すのか、の答えになります。
 固定観念に染まってしまった弟子たちは、お釈迦さまに助けを求めながらも、法華経を信じることができません。ですからお釈迦さまは、姿を隠し、弟子たちがお釈迦さまに会いたいという気持ちを促し、法華経を信じてほしいという願いが込められています。

 この法華経は何度も「信じ難く解し難し」と説かれます。そしてお釈迦さまは「この法華経は最上である」と説かれ、人々に弘めることを望まれます。
 現代において法華経は、みなさまにどの様に捉えられているでしょうか。古くさく漢文であり佛教語も難しい、と思われているように感じます。また何らかの力を望み、期待していることも感じます。それはあたかも、父親に解毒を願いながら良薬が飲めない子供のようではないでしょうか。
 お釈迦さまの法を弘めてほしい、という願いの一助に「妙法蓮華経の持久走」がなることを祈って、今後も続けて参ります。お付き合いのほどよろしくお願いします。

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