法典寺について

ごあいさつ

妙栄山法典寺は江戸時代の初期に、三島市にある本山・玉沢妙法華寺の僧であった慈雲院玄順日受上人が、現在の富士宮市青木732番地に於いて、草庵を結び信仰の場所として根付く事となった。これが妙栄山法典寺の始まりである。当時の境内敷地は約185坪、本堂、庫裡併せて約30坪程度の状況であった。
 歴代上人の精進によって山門興隆し寺檀和融していたが、元禄年間に山崩れに逢い本堂等埋没を経験。その後代の先師が復旧に努力し一時は賑わいをみせていた。しかしそれも長くは続かず寺録僅少、檀家数も次第に減少となる。重なる山崩れや住職不在が重なり自然荒廃に傾く。特に明治維新後は一層険しい時代を迎え現在に至った。法縁は西谷鏡師法縁に属し、その法縁寺院の推薦を受け、その任重しと感じたが、妙法広布の祖願達成の為にその任を得た。即ち先代上人の後を受け平成2年に第32世として小生遠藤是文が住職拝命する事となった。 しかし長い間、手をかけていなかった建物は居住地としての設備が整っておらず老朽化が進み、仕事は通いでするのが精一杯であった。故に葬儀、年忌法要などは檀家宅で行い、宗教活動の拠点としての機能は果たせないままであった。現時点の宗教活動は別の宗教法人にあるお堂や庫裡を借り行っているのが現実である。
 住職就任直後から寺の建て替えについて幾度か役員会を開いたが、様々な障害があり現在に至っていた。つまり昭和54年当時「急傾斜地崩壊危険区域」に指定さていた為、立て替えが出来ない状況にあった。
 さらに平成22年1月27日付けで静岡県による「土砂災害特別警戒地区」に選定され「著しい危害の恐れのある土地の区域」との決断を下された。そのような状況のなか、公共性のある法人がそこに居留まる事は大変危険であり、現況地に無理な建立は避けるべきとの判断をせざるを得ない現状を鑑みて将来的に災害が生じた場合、避けることの出来ない事を想定をして非常に安全で交通の便もよい富士宮市山本371番地に移転を希望して、当地の開発行為許可申請を提出して此度幸いにも許可を得ることができた。
 平成24年夏より勧進を初め建設に関して事を進める。同25年2月より造成工事の着工、翌年春完成。その後大波小波と様々荒波にもがきながらも、檀信徒各位の篤い志を受け、同27年夏より本堂(庫裡含む)の計画が始まり、28年1月27日地鎮祭、3月6日上棟式と続く事が出来た。着工より約4ヶ月後の5月20日無事に完成し、三宝さまの遷座をする事を得て法典寺は見事に蘇った。
 その後、納骨堂、永代供養塔の建設を志し研修見学を重ね、平成30年夏に竣工落慶と運びとなった。本堂と納骨堂のある山本の場所は丘の上に位置しており境内すべての名称を『彌勒の丘』とした。恐々謹言
 

トピックス

トピックスの一覧へ

正式名称 妙栄山 法典寺(ほうてんじ)
住所 〒418-0023 静岡県富士宮市山本371
電話番号 0544668800
メールアドレス zemony@kcf.biglobe.ne.jp
公式サイト https://houtenji.com/