【仏教用語解説】第4回「清澄寺」

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【仏教用語解説】のコーナーでは、
様々な仏教用語を解説していきます。
 
第4回目は
 
「清澄寺(せいちょうじ)」
 
です。
 
昨日のブログで紹介したとおり、
清澄寺は日蓮聖人が出家し、修行したお寺です。
 
しかし、当時そこは天台宗のお寺でした。
 
そもそも清澄寺の歴史は
1200年前にまで遡ります。
 
奈良時代後期、
ある旅の僧が現在清澄寺のある山を訪れ、
そこに生えていた柏の木で
虚空蔵菩薩の木造を彫り、
その像の前で21日間の修行をしたそうです。
この僧の素性はわかっておらず、
「不思議法師(ふしぎほっし)」と呼ばれています。
これが清澄寺のはじまりです。
 
その後平安時代になって
天台宗の僧・慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)がこの地を訪れ、
不思議法師が彫った虚空蔵菩薩の像の前で
21日間の修行をしました。
これ以降清澄寺は天台宗の寺として栄えていきます。
 
しかし、室町時代から江戸時代にかけては
戦と火災が度重なり、
衰退と復興を繰り返していました。
 
また、江戸時代の初めに
真言宗に改宗しています。
 
清澄寺が日蓮宗に改宗したのは
1949(昭和24)年のことでした。
 
まだブログではお話ししていませんが、
日蓮聖人はこの清澄寺で
立教開宗(りっきょうかいしゅう)をしています。
これは文字通り、「教えを立てて宗派を開く」ということです。
つまり、清澄寺は日蓮宗はじまりの地なのです。
 
では、日蓮宗はじまりの地のお寺が
なぜ最初から日蓮宗にならなかったのでしょうか?
 
それは、日蓮聖人(当時は蓮長)が
長い修行の旅から帰って来た1253年に
清澄寺で起こったことを知ればわかります。
 
くわしいことはまた次回の
【お祖師さまのおしえ】にて
お話しさせていただきますね。
 
それではまた(^^)/
 
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前の話→第3回「木柾」

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第1回「舎利弗」
第2回「北辰妙見大菩薩」
第3回「木柾」

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