宗教の本質

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本日、四菩薩様の初修復と、大聖人様の二回目の修復が完了し無事に戻って参りました。
平素よりお世話になり信頼しております業者様には、心から感謝申し上げます。
長い年月の間、多くの方々を救って下さった諸仏が無事に修復出来、感謝の気持ちでいっぱいです。
四菩薩様に於かれましては、長い年月の間、風雨にさらされ状態の悪い中、三百数十年前の金箔をそのまま生かして頂き、大変有難く心から感謝申し上げます。また、大聖人様におかれましても、当時の色彩をそのまま蘇らして頂き嬉しく思います。
当山の大聖人は二回目の修復となりますが、一度目の修復年月日は不明、また、製作された年月日も江戸時代(おそらく元禄時代の少し前)以外は不明となっております。
大聖人像は、強張った表情が殆どですが、当山の大聖人は優しい表情をしております。当山の鬼形鬼子母神像も優しい表情をしております。
このような優しい表情は、歴代住職のお経の賜物と思っております。
仏像に御経を手向けば手向けれるほど、引き締まるという表現をよく耳にしますが、私もこの表現に賛同しております。本日、このような素晴らしい修復を終え、今まで以上にお経を手向けねばと気持ちを一新しました。
関係者の皆様には、心から感謝申し上げます。それと同時に、有縁の皆様、諸霊魂に、益々の供養を誓い申し上げます。
 
さて、話は変わりますが、近頃、宗教について様々な相談を受けたり、キリスト教関係の方々からしばしば相談を受けます。当山があります安中市は、同志社大学を創立した新島襄さんのご生誕地です。当山の檀信徒も関係者であったり、また、私の娘も、新島襄先生に関係する幼稚園にお世話になっていることもあり、多くの方々から、悩み相談を受けるご縁があります。
「私はキリスト教徒ですが~」と仰った上で、当寺への相談もあります。
具体的なお話は控えますが、相談内容は日々の生活の上での悩みばかりです。私も、カトリックやプロテスタントを多少なりとも勉強しておりますが、それらと大乗仏教が辿り着くところはほぼ同じと確信しております。
宗教が求められる部分は、私達が現実的に生きていく上での悩みの解決です。
キリスト教徒の方が仏教寺院に相談下さることも、これもまた地域柄の良さと思っております。
仏教は、絶対的な肯定。
近年は、障碍者の方からの相談もありますが、たとえ、どんな障碍があっても、それは個性です。
それが善いとか悪いとか、そういうものではありません。
ただ、どんな宗教宗派であれ、有縁の方々の幸せを心から祈ることが宗教の肝要だと思っております。
明日から、また、いっそう精進致します。

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