道心の先に衣食有 衣食の中に道心無

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

「道を求めて精進する志があれば、その目的を達成する衣食は、不十分かもしてないが自然とついてくる。逆に生活に恵まれていれば、安穏・安逸に流されて、自らを高める志が起きない」という伝教大師最澄聖人のお言葉です。
 
好きな聖言の一つで、毎日拝読しております。
 
 
さて、先日、藤岡市の富士浅間神社様に参拝しました。毎年、節分明けには参拝しております。
桜も咲き始めておりました。
お世話になっている先輩のお上人から、「藤岡市は、もともとは富士岡である。さらに、この富士浅間神社が、日蓮聖人が佐渡に流罪される道中でお寄りになられて、この場で布教されたことが神社の礎となり、藤岡市の由来となっている。」ということを教えて頂いたからです。
日蓮聖人は、富士山にあった浅間神社の神主様をも教化しており、その当時は、富士山の登山道に「南無妙法蓮華経」の題目碑もあったそうです。
来月は、富士山を参拝する予定です。

心を新たに精進します。
それにしても、こちらの神社は、常に、近所のお子様の遊び場所になっている印象があります。田舎でも、なかなかそのような場所が少なくなってきておりますので、ホッとします。
個人的には、榛名神社様と同様の、群馬のパワースポットの気がしております。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ