だんしんきょう 平成29年 7月号

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開催日:2017年07月01日

岡田 一弥 氏
全国檀信徒協議会監事
東京都目黒区立源寺筆頭総代
昭和33年7月22日生まれ
趣味:星を見ること
 
 何年も前のことですが、娘が私に話したエピソードから始めさせていただきます。
 娘がまだ小学生高学年の時でした。ある朝「今日の明け方にとても怖い夢を見た。夢とは不思議なもので内容はよくは思い出せないないけれど、とにかくものすごく怖い夢だった。夢の中でどうしようもなくなってしまった。でも、何とかしなければ大変なことになってしまうというどこか冷静なところはあって、そうだ! 南無妙法蓮華経と唱えた。すると、恐怖の夢は消えて目が覚めていた」と話しました。
 娘が年若くしてとてもとても信仰が深い生活をしていたというわけではありません。いわゆる困ったときの〇×頼みの発想に間違ないのでしょうが、子どもゆえの率直な感覚であり、瞬間的にストレートに小さな救いを求めて心の平穏を取り戻したのだなと感じました。
 私は考えました。私は菩提寺の檀家総代を務めていますので、日蓮宗という宗教、お題目、ご先祖さまとの繋がり、お寺という存在、が普通の家族より強くて日常生活と近い距離にあります。娘のとっさの対応はそんなことに一因があったのでしょう。
 娘は小さい時からお寺の年中行事に参加をし、それを地域の風物として楽しんできました。お墓参りをしては掃除を手伝ってご先祖さまを自然と大事にしてきたようです。こういったことは、理屈や知識として学んだことではありません。その娘はもう成人していますが、泊まりの旅行に行く前と後などは、必ず仏壇に線香をあげ手を合わせて合掌をしています。
 私は思います。親や家族の日常行動の中から自然と信仰を身につけていくことが一番の方法なのだな、と。そうして醸成された感覚が、やがては人間の大きさを超えた何か、良い意味での畏怖の念を育んでくれたりしていくのではないのでしょうか。
 社会環境や家庭事情から昔に比べて現在の信仰の相続継承は難しいことは間違ないことでしょう。しかし、だからこそ、折に触れてお寺に赴き、住職さんたちと話をしたり触れ合い、家族学校とは違う地域社会を知る機会を持つことが、とても重要なのではと考えています。情操教育だけでなく信仰の継承についてもでしょう。信仰の輪を広げていくには、多くの人たちの前にまずは身近な人、その最小単位の家族から行っていくのが大切です。急がば廻れのように思えてなりません。
 もちろん、宗門の皆さま方には、檀信徒や一般の人が寺院にうかがえる機会をたくさん用意していただきたいとも思っています。よろしくしくお願い申し上げます。      

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