大黒天のご紹介

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元々は江戸時代中ごろまでは
京都のお寺におまつりされていた仏像ですが
どういう理由によるものか
小田原の蓮船寺でまつられるようになりました。
寺伝では京都の松が崎のお寺が
10ヵ寺ほど火事で焼けてしまい
全部のお寺は復興できず
仏像などはまとめられていたようです。
文化文政の頃その中から
二体の大黒天像が持ち出されたのだそうです。
関東のどこかへ行くはずの
その僧侶が箱根越えの後
小田原で病にたおれ
その近所のお寺
蓮船寺でまつる事になったとか
もともと東海道筋にお寺がありましたので
そんな事があったのかもしれません。
仏像をおさめる厨子は何度か
新調したのでしょう
天保七年丙申六月吉日
施主は松葉屋平吉
蓮船寺第二十一代住職日孝上人の
過去帳への記載による記録にあります

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