10月19日、妙恵寺お会式 副住職高座説教「水の信心」

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こんにちは、副住職です。
去る10月19日に当山妙恵寺のお会式法要を有縁のお上人方にご出仕いただき、お檀家さんと共に奉行し、滞りなく終了いたしました。
大勢のご参拝をいただき、誠にありがとうございました。


お会式法要では、日蓮聖人の第735遠忌に際し供養の誠を捧げ、今年も無事にお会式を迎えられたことへの報恩の気持ちを込めて法要を営みました。
私たちが今、こうして平和な世の中を生きていられるのも、けっして当たり前ではありませんね。
日蓮聖人が命がけで私たちに遺されたお題目、そして数多くの人たちの御縁のおかげで生かされているこの命。
そうした報恩感謝の心を形に表す妙恵寺のお会式となりました。

お会式法要の後には、私、副住職裕真が当山で初めて高座説教をさせていただきました。


お説教は「水の信心」という題で、高座説教の五段論法に則って、私自身の出家の動機から僧侶になるまでのお話をさせていただきました。
全文は掲載いたしませんが、要点だけをこちらに載せておきたいと思います。
 
私は、小さいときから縦にすくすくと成長し、今では身長189㎝にまでなってしまったのですが、私、横にも成長しやすい体質でございます。
少し気を抜いて食べ過ぎてしまうとすぐに体に表れてしまうので、夏前からダイエットをしようとコツコツとダイエットを続けてきました。
しかしながら、季節は秋ですね。
スポーツの秋、読書の秋と色々ございますが。
食欲の秋という強敵が現れまして、食欲という名の手強い敵と葛藤中の今でございます。
 
私たち人間というのは、どうしてこうもやる気というものが維持できないんでしょうね。
お坊さんの私が言うのもはばかられますが、三日坊主になってしまう、ということも多くの皆さんが経験したことがあるのではないでしょうか?
 
その時には思い立って、やる気に満ち溢れていても、なかなか長続きしないというのが問題でありまして、ひとときのやる気ではなく、そのやる気を長く持ち続ける事こそが大切なのではないかなと私は思います。
 
お釈迦様は、法華経の授記品第六の中に次のように説かれております。
「菩薩無数にして 志固く精進し 仏の智慧に於て 皆退転せじ」
 
この経文は、固い決意を持ち、精進し、決心を持続させることの重要さが説かれています。
仏様の智慧を目標として一心に修行し、途中で心が緩んだりすることのない人は、菩薩の心を具えているといえますが、私たち凡人はなかなかそういきませんね。
俗にいう三日坊主になってしまうことが多いようです。
 
この経文が説かれる授記品では、仏弟子たちが、仏様から「記別」を授けられることから「授記品」と名付けられています。
「記別」は、仏様が修行者に対して「将来必ず仏に成る」ことをあらかじめ保証することで、この記別が授けられることを「授記」といいます。
卒業証書のようなものに思われがちですが、むしろ入学許可証という方が的確です。
記別を授ける場合には必ず条件がついているからです。
 
その条件とは、初めて悟りを求める心を起した時の決心を持続し、精進していくことです。
この条件を満たせば、必ず仏に成れると保証され、この保証が、大きな自信につながるのです。
それは、この道を進みさえすれば、必ず目的地に行きつくという確信を持つことができるからです。
 
やる気、信仰心はその場だけのものにするのではなく、誘惑や欲望などにも負けず、決心を持続していくことが大事なことなのですね。


また、日蓮聖人の御遺文『上野殿御返事』の中には、信心について次のように説かれております。
「或は火の如く信ずる人もあり、或は水の如く信ずる人もあり、聴聞する時は燃へ立つばかり思へども、遠ざかりぬれば捨つる心あり、水の如くと申すはいつも退せず信ずる也」
 
火のような信心は、聞いているときは燃えさかる炎のように、やる気があるけれども、だんだんと弱くなったり、時間が経つと、そのやる気も火のように消えかけてしまいます。
私たちも日常生活の中で、たとえば趣味やダイエットなどを始めた時には、火のように燃え盛って、やる気に満ち溢れているものですが、そのやる気はいつの間にか薄れていき、時には消えてしまうこともありますね。
 
しかしながら、それではあまり良いとは言えません。
日蓮聖人は、淀みなく常に流れ続けている水のように、いつもゆるやかに流れる小川のように、おだやかに信じ続ける心、持続していける信心、そうした「水の信心」が大切なのだと説かれています。
趣味でも、ダイエットでも、なんでもそうですね。特に私たちが生きるよりどころを求めて信仰する心は、ゆるやかに、継続していくことこそが大切なことなのです。
皆様には、一時的ではなく持続可能な信心、「水の信心」によってお題目修行を志していただきますことをお勧めいたします。
 
以上のようなお話をさせていただきました。
お檀家さんの前で、ちゃんとした形での法話をしたのは初めてでしたので、どこか照れくさい気持ちもございましたが、ご清聴いただきまして誠にありがとうございました。
高座説教を見るのも聞くのも初めてというお檀家さんが大半でしたので、最初の説前回向から終盤の日蓮聖人御一代記を語る「繰り弁(くりべん)」まで、興味津々でご聴聞いただき、たいへん有り難い気持ちでいっぱいになりました。


これからもより多くの法話を準備して、皆様の前でお説教ができますように、精進して参りますので、よろしくお願い致します。
 


次回の妙恵寺御題目講は、11月19日(土)14時から奉行いたします。
11月は、住職より法話があると思いますので、私との違いを見比べていただければなと思います(笑)
どなたさまでもご参加いただけますので、初めて参加ご希望の方は
myoukeiji76@gmail.com
までメールをお送りいただければ幸いです。
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

合掌。
裕真。

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