だれでも仏に。

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盛夏の候、皆様如何お過ごしでしょうか。
「仏」・「成仏」という言葉を耳にしますと、皆様はどのようなことを想像しますか。
多くの方は「亡くなった方」を連想されますが、本来の「仏」とは意味が異なります。
また、「成仏」という意味も、決して「亡くなった」ことばかりを指しません。 仏教において「仏」とは、「悟った人」のことを指します。
それは、お釈迦様が多くの人々を救ったように、慈悲深い心を持ち、他者のために尽くすことを第一に考えた人間とも言えます。
特に日蓮聖人は、法華経の視点に立ち、親や他者への報恩とその精神である慈悲を積極的に勧めました。
さらに興味深いことは、日蓮聖人が、子が親に付き従う孝行(武士道)を否定したことです。
鎌倉時代は、争乱が絶えない時代でした。そのため、子が何もためらわずに親に従って戦をすることが常識でした。
しかし、日蓮聖人は、このような盲目的な子が増えれば、さらなる戦災は止まらないことを見抜きました。
あえて社会の常識を超えて、不忠と言われても、法華経を信仰し、慈悲深い生き方を勧めました。
当時、多くの信者さんには受け入れられましたが、武家を束ねる幕府や首領にとっては、大変脅威であり、弾圧の的になってしまいました。
この説示の根本には、誰もがお釈迦様の子であるという法華経の言葉があります。
つまり、この慈悲を持つ生き方は誰でもできる生き方であり、我々が目指す「仏に成る」道につながります。
普段何気ない優しさも、「成仏」への生き方ともいえます。

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